若貴兄弟と曙(若手横綱トリオ)は1990年代の大相撲ブームの主役

祖父・父とも名力士であった若貴兄弟(若乃花・貴乃花)は、1988年3月に角界入りをしました。時を同じくしてハワイでバスケの選手をしていた曙太郎(曙)もスカウトされて来日し、若貴兄弟と同じく1988年春に日本の大相撲界入りを果たします。そして、同世代の曙と若貴兄弟は、魁皇など同期入門の若手と切磋琢磨して急激に実力を伸ばしていきました。

3人は1990年に幕内入りして翌1991年にはアッという間に三役に昇進し、場所前に優勝候補に挙げられる力士の一人へと成長します。そんな若手3人のサクセスストーリーに国民は夢中になり、当時の大相撲ブームの火付け役となりました。

相撲の取組

曙と若貴兄弟の3人の中で初めて巻く優勝を達成したのは、一番年が若い貴乃花(当時の四股名は貴花田)です。1992年の初場所で貴花田が優勝した事に続いて、曙も同年の5月場所で初優勝します。若乃花(当時の四股名は若花田)は体格的に不利な側面があったものの、自分より年が若い2人の活躍に大きな刺激を受けて1993年の3月場所で悲願の初優勝を果たしました。

その後3人とも横綱に昇進して長く3強時代が続きましたが、若貴兄弟と曙が対決する時は特に盛り上がり方はすごく、大相撲ブームはこの3人に支えられていたところがあります。

その中で、最も国民の注目を集める対決となったのは1995年11月場所の優勝決定戦です。大相撲の世界では同部屋対決が行われませんが、勝ち星が並んだ事により、若貴兄弟で優勝決定戦が行われる事になりました。対決の結果に関しては、兄の若乃花が体格的に有利な弟を見事に破って通算2度目の優勝を達成しています。その日の夜のニュース番組はこの話題で持ちきりでした。

角界で活躍している個性豊かな外国人力士達をご紹介!

四股

古くは曙関や武蔵丸関といったハワイ出身の力士たちが活躍しましたが、現在でもさまざまな国籍の力士たちが角界を盛り上げています。

まずはみなさんご存知、モンゴル出身の力士です。モンゴル出身の力士が増えた背景には、元々モンゴル相撲という競技があり日本の大相撲と親和性が高い、幼少期から口にしているものが相撲に適した骨太な骨格を作り出しているなどファクターが重なり、今の状況を生み出しています。現役では平成史に残るといっても過言ではない大横綱となった白鵬関を始め、寄り差し自在の鶴竜関や巨漢を活かしたパワーが売りの逸ノ城関など、単に強いというだけでなく、個性的で見るものを惹きつける相撲を取る力士を次々と生み出しています。

モンゴル以外にもいろいろな国からやってきた外国人力士が土俵を沸かせ続けています。現在、力強い四つ相撲を武器に大関に昇進した栃ノ心関はジョージア出身です。栃ノ心関以外にも、三役を務めたことがある元力士の黒海関や、巨体から繰り出される押し相撲で場内を沸かせる臥牙丸関など、平成後半の大相撲を語る時に欠かせない国となりました。

他にも魁聖関はブラジル出身、碧山関はブルガリア出身と、多くの国に日本の誇る文化である相撲が定着していることを証明しています。